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日本サッカーのさらなる成熟・発展のために ②

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(日刊スポーツさんから拝借)

 やられてしまった・・・スペイン・上手い・強い・賢い。
やっぱ、はるか格上だった。。。

       ◇ ◇ ◇

 この試合の前に、もうひとつの準決勝・ブラジルVメキシコ戦をジックリとネット観戦した。JAPANがこの後、戦うことになるメキシコはGS(グループステージ)でJAPANが勝った時のメヒコより、格段に洗練されていて強力だった。終始、ブラジルにキープされ、猛攻を受けていたが、ことごとく跳ね返していた。流石だなと言わざるを得なかった。だけど・・・


(サッカーキングさんより拝借)

 結果、残念だと思ったのは、ここ数回のW杯で目覚ましい実力を発揮してきたオコチャもそろそろ年季が入り過ぎたかな、という少々寂しい印象を与えられたPK戦だった。。。


(Goalさんより拝借)

だがしかし、GSで勝ったとはいえ、メキシコは強い。チームの完成度、地力的にも日本より上だと言わざるを得ない。もしかすると・・・

       ◇ ◇ ◇

 VSスペイン戦は思った通りの展開となったが、今大会、J・過去・最強のチームと評されるだけの守備のクオリティがあって、わりと安心してみていられた・・・ということでもなくて(笑 しびれる・肩凝る・アルコール必須〜的なナイスゲームだった。真剣勝負だかんね、お互い。

 選手交代がどうの、点を取れないFWだとか、ツッコミどころの多い試合内容ではあったが、やはり、一朝一夕では、彼我の間に存在するサッカーの深淵を埋めるにはまだ相当の時が必要なのだということを痛感させられた、ということだろうと思う。


(日刊スポーツさんから拝借)


 一番強く感じたのは、ポジショニングの差だった。

 決勝点の場面も一緒だが、オノレのパスの後、非常にオートマチカリーに開いて、相手のスキマを取る。だから軽々とトライアングルパスが通る。トラップ(罠がけ)やストッピング(止め)の差、力がはいっていても、入っていなくてもスッと通せるショートパス・ロングも同じ。

ポジションが良いのは「自然に実践出来る」「それはもはや習慣」。これを体現出来るか、どうか、で大きく差が開いてしまう。ボール支配率の大きな差、ということだ。

       ◇ ◇ ◇

 53年ぶりのメダルだとか、しきりに囃されているけれども、そう〜か〜、53年も前の事だったのか〜、あの銅メダルは・・・53年前、中2坊主で、思いっきりサッカーにのめり込んでいたんだよね。年がバレるけど。

 昔の事の流れで云うなら、私の父は地方の甲子園予選の決勝で負けたとか。六大学野球がやりたくて、満鉄で自分の学費を稼いでから帰国して早稲田に入った。

ワセダの野球部に入部したは良かったが、あんまり野球のレベルが高いんでおったまげたそうだ。

そして、今年こそはレギュラーだ!っというところで、学徒出陣と相成った。秩父宮だね。そう、まさにあの最後の早慶戦組のひとりだ。


(国営放送)

オヤジらがぶん回していた野球のバットは銃剣に変わった。もうそのまま大卒扱いで、軍曹として出征したらしい。真っ白な軍服姿の写真がそこら辺にあるはずだ。

また、サウスポーであったが、地肩が強く、目が良かったので、射撃大会ではトップで特別休暇をもらって帰省したことがあったと父の死後、伯母が話してくれた。


(国営放送)こうして観ていると父親がそこら辺に・・・



 時が経て、私が幼いころに、世の親たちを震撼させる、今とは別の子供たちだけを襲うパンデミックが流行った。それに私は罹患したのだった。高熱を発し、ちょうど8月の今頃、夏祭りの笛や太鼓が近くに遠くに聞こえた。

発病部位は右肩の三角筋だった。オヤジも相当ショックだったのではないか。それでもそこそこ体調を取り戻した小学生高学年の私に、一応、野球グラブを買ってくれ、キャッチボールの相手をしてくれた。

 軟式のボールを投げ、受けさせてくれたが、カーブやドロップ(縦のカーブ)があんまり曲がるもので、まともに捕球出来なかった。

それにしても、なんとしてもこの右肩は、まともな投擲力がなかった。父は43歳という若さで逝っちゃったんだけど、さぞかし、そのセガレにはガッカリしたんだろうなあ、と思う。

       ◇ ◇ ◇

 てなわけで、サッカーに行くしかなかった、ってわけだ。

 サッカー部。朝、学校に行くとまた勝った、また勝った、というのがメキシコOlympicのカマモト・杉山JAPANだった。

当時は一気にサッカーブームとなったが、今でも記憶に鮮明なのは、VSブラジル・パルメイラス戦を観に、駒沢競技場まで出かけた。ロッカールームへの通路で、当時のゲームメーカー・八重樫やサイドの片山選手などと握手してもらった。嬉しくて、しばらく手を洗わなかった。。。


(ユウツベさんより)

 杉山選手に手を延ばした。
そしたら「くたびれてんだよっ」っと拒否られた、だめだ、こりゃ。。。

       ◇ ◇ ◇

 はるか、時は流れ、今度こそW杯に出られる!と意気込んだのが、1997年のジョホールバルだった。この際、行くしかない!っと、チケットもないのに機上の人となった・・・

というオハナシは明日のココロだ〜


(Flashさんより)


















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